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油断も隙もない「仏像」 [美術展/博物館感想]

特別展「仏像 一木にこめられた祈り」東京国立博物館:
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=3460

<参考資料>Post Card 「十一面観音菩薩立像 国宝 滋賀・向源寺(渡岸寺観音堂所在)」ART YOMIURI-06-235

 渡岸寺の十一面観音はどこから見ても隙のない美しさを湛える。
 通常、仏像は正面観照性をもち、真横や、ましてや後ろから観るようには作られていない。そもそも仏像は信仰の対象であって美術品ではない。大抵のお寺では、仏像は暗いお堂の奥に恭しく鎮座しており、正面から拝む様に出来ていて、せいぜい斜め前から見ることを想定しているぐらいだ。まして秘仏となれば、年1回、曝涼日にのみ拝観とか、更には拝観用の裏本尊が別に有り、本尊は決して一般の人々の目に触れないケースも少なくない。従って、お寺で拝む際には勿論全く気にならないが、かなり著名な仏像でも美術館で展示された状態で見ると、後ろは非常に粗末だったり、全く掘っていなかったり、また、真横から見ると異常に扁平でうすっぺらかったりする。そもそも仏像を彫った人たちは、まさか自分達の仏像が360度回れるような状態で、煌々とした電灯に照らされて穴の空くまで鑑賞されるなど夢にも思わないことだろう。だからそもそも、仏像を美術館・博物館で鑑賞するのは邪道であり、仏像はお寺で拝観すべきものだろう。
 しかし渡岸寺の十一面観音はそうではない。あらゆる方向性を意識して作られており、正面はもちろん、斜めから見ても真横から見てもそして真後ろからみても、全く手抜きのない美しさだ。194cmの堂々たる一木造の立像。僅かに腰を捻り左足を曲げて、臍を露にして立つ御姿は、不謹慎だが大変、色っぽく妖しい美を醸し出す。それもその筈、通常中国をルーツとする厳格な面持ちの仏像(立像)たちは足を真っ直ぐ伸ばし正面を向き直立した固い印象があるが、この腰を捻ったポーズは、インド風の生なましい血の通ったリアルな表現がルーツとなっているのだから。それは今にも動き出しそうである。その豊かな腹から腰への肉付きと捻りは、ヒンズーの乳房も陰部も露にして踊る豊饒の神々を彷彿とさせるようだ。またギリシャのアルカイックスマイルを湛える膝の真っ直ぐな直立像から膝を曲げたコントラポストのクラシック様式への変化をも垣間見る様だ。琵琶湖の北、余呉湖周辺の湖北には当仏像を始め、大変貴重なかつ美しい仏が多く、己高山の山岳信仰とともに海外への玄関口:若狭湾と京都を結ぶ交通の要衝として栄えた国際的影響が当仏にも宿っているのだろう。
 無論、全ての仏像がそうである様に当仏像も現地で拝観するのが望ましい。私も当仏像は過去に2回、現地で拝観した。門外不出と言われた渡岸寺の十一面観音菩薩立像がまさか東京で見れるとは思いもよらなかった。もう随分以前のことなので詳細は鮮明ではないが、当仏像の現地での設置状況は決して良い状態ではなかった気がする。しかし今回の展示の仕方に比べればましだ。なんだ、あの照明は!バカ眩しすぎて目が眩み、角度のよっては全く仏像が見えやしないぞ!みんな手をかざし光を避けて賢明に観ようとしていた。貸し出す方はよくあんな展示方法を許したものだ。よっぽど金にでも困っているのだろうか?あんな強烈なライトの当て方をして国宝が痛まないか心配である。どうも高松塚の壁画損傷事件以来、お偉い肩書きのプロがやることは信用におけない。それでも360度の円形展示を許したことで怪我の功名はあった。後頭部にぬっと突き出た暴悪大笑面が良く鑑賞できたからだ。その恐ろしげな面持ち、口を大きく開けて笑っているのか怒っているのか、とても菩薩の表情とはかけ離れた鬼の面持ちは、最初に見た時の衝撃と少しも変わっていなかった。普通、十一面観音は全て頭上に小さな変化面を持つが、当観音像は頭上は勿論、先ほど述べた後頭部や、耳の後ろの顔の横の位置にも大きな顔を持つ。さらに頂上の顔が通常、如来相であるのに対し、当観音では菩薩相になっていて、よーく見ると五体の化仏がそこに彫られて張り付いている。実に特異でかつ、細部までこだわった造りになっているかがわかる。暴悪大笑面を正面にした立ち姿は少しも不自然に見えないどころか実に艶やかな後ろ姿である。
 その面妖な変化相と全てを救う眼差し、妖艶な姿態を最も美しく鑑賞する角度は、絵葉書にもなっている、向かって左斜め前方から観ることである。弓なりに沿った姿勢が頭の先から足の先まで一本の美しい曲線を描き観る者を圧倒する。惜しいかな照明によっては真っ黒だが、照明を背にすればより美しく輝いた十一面観音を拝むことができる。それにしてもひなびた田舎の静かな薄暗い観音堂から突然、大都会の眩い光に照らし出され11万人もの人々の目に日夜さらけ出されることになって観音様もさぞびっくりされたことだろう。全く今時の人間はとんでもないことをするものだと。

 他の仏像に多少触れておくと、京都・西住寺の宝誌和尚立像は大変奇異で良かった。和尚が指で自分の顔の皮を剥ぐと中から十一面観音が現れたという故事に由来し、和尚の顔がぱっくり左右に割れて中から別の顔がぬっとのぞきこんでいる様は、なんとも面妖な恐ろしげな雰囲気を醸し出す。目が四つ、鼻と口が三つずつありそれらがなんの表情もなく目も口も閉じ黙している面持ちはなんとも不気味である。他にも唐招提寺の大きな仏像が3体(薬師如来と菩薩)並んでいる様は壮観で迫力があった。トーテムポールの様な円空仏や土産物の木彫り熊の様な木喰仏は大変人気があったが私はあんまり好きにはなれなかった。即興で作るから背面は真っさらだし、現代美術に通ずる抽象的な面白さはあるが荘厳さから来るありがたみが湧かなかった。
 全体として今回の仏像は標題通り、木の魅力であるから、煌びやかな金箔を施した仏像ではなく地味だが素朴で力強く、神木の力そのものを活かした信仰の造形が印象的であった。また平成館に行くといつも思うことだが、見る順路が良くわからなかった。展示の仕方は渡岸寺の十一面観音菩薩立像が一番酷く、他はそうぎらぎらでもなかった。なんか夜間はライトアップとかしてるらしいが、独立行政法人になって完全に展示がショー化しているというかはっきりいって悪趣味だ。物が信仰対象であるだけにもう少し尊厳に配慮した展示を心がけて欲しいものだ。


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石山みずか

渡岸寺観音、このような彫刻がこの時期に作れたのはどうしてでしょうか。
渡来人、ギリシャ人またはガンダーラでギリシャ人から学んで、インド的な雰囲気を出せるほどの練達者が来ていたのではと思うのですが、日本人がそれほど当時仏教を理解し、彫刻技術を身につけていたのでしょうか。
ギリシャ風またはインド的と見える仏像は彫刻者がいずれも明確でないように思うのですが。どうなんでしょうか。大乗仏教の仏像はガンダーラでギリシャ人の信者により作られたと聞きますので、日本に来たのは時期的にはローマ帝国領のギリシャでオリンピックが禁止され、多神教が弾圧されて亡命者が出た時期と重なるように思うのですが。
by 石山みずか (2009-04-10 18:30) 

はなれざる

石山みずかさん、大変遅ればせながら、コメントありがとうございます。  う~ん、難しいことはわかりませんが、当仏像は、円仁と関連しており、その造立時期は、円仁が唐から帰国する847年から、死亡する864年頃と聞いております。当時の唐は、もう衰退期にあり、国内が混乱し、仏教弾圧も行われていましたから、身の安全を求めて多くの仏師たちが日本に亡命して来て、その結果、盛唐時の様式を懐かしむ様な、こういった様式の仏像が作られたのではないかとありきたりに考えます。その元を辿っていけばガンダーラ、ギリシャとなるのでしょうね。

by はなれざる (2009-04-20 18:52) 

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