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美術展/博物館感想 ブログトップ
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今日は土偶を見に行きました。 [美術展/博物館感想]

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東京国立博物館「国宝 土偶展」
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=6908

なんたる造形美!意表を衝くデザイン、そして原始の官能美・・素晴らしい!
その自由奔放さ、なんの制約も受けない、躍動する斬新なモデルは、その後の日本の文化とは明らかに異質な気がします。もっと熱帯の、または逆に極北の様式を彷彿とさせます。彼らはどこから来てどこに消えたのか?一説にはアイヌは縄文人の末裔とも言われいますが果たしてどうなのでしょう。アイヌの文化と並べて比較してみたら面白いと思いました。

土偶はほとんどが女性でしかも妊婦が多い。太い足、立派なお尻(笑)が実に優美。ダイエットに血なまこになっている最近の鳥ガラの様なガリガリの女性たちは是非見習って欲しい(笑)
そして彼らは皆、仮面(三番目の写真を参照)を付けていますがその造形は実にシュール。ピカソや岡本太郎を虜にしたのも頷けます。そして頭や足をわざわざもぎ取って体と離れた場所に埋めたりする。なぜなのでしょう(?_?)謎は尽きません。意外にも土偶の国宝は三点しかなくあの有名な遮光器土偶も国宝ではないのですが、もう全部国宝にしたい!
他にも土製仮面、人型をあしらった土器、謎の動物を模した置物などがありましたが、どれもワンダフル!縄文万歳!

私の一番好きな土偶は一番目の写真の奴です。頭を上から見たのが二番目の写真ですが、まるでカッパ(笑)、体は昔のおもちゃのロボット(手足がジャバラの奴)のよう。一体、何に似せて作ったのか検討もつきませんね。ああ家に持って帰りたい!

<参考資料>
文化庁他編『文化庁海外展 大英博物館帰国記念「国宝 土偶展」』NHK他 2009

「個展 忌野清志郎の世界」もはや飛び跳ねないステージ衣装たち・・・ [美術展/博物館感想]

http://www.lapnet.jp/eventinfo/special/lm/kiyoshiro/info/index.html
Image250.jpgImage252.jpgImage253.jpg
今日(9/7)はラフォーレ原宿でやってる「個展 忌野清志郎の世界」を見に行きました。
キヨシロの描いた多くの絵や漫画、また愛用品(自転車やパレット)、ステージ衣装、ポスター、写真、更には数々の映像まで盛りだくさんな内容となっています。
もう二度と動かない派手派手なステージ衣装やブーツが、整然と並んでいる様は、なんともやり切れない悲しみに襲われます。しかしそれと対比して清志郎の描く絵はどれも温かみがあって、優しい気持ちにさしてくれます。多くがだいだい色を基調とし、非常に厚塗りでべったりと塗りこんであり、皆楽しげに笑っている絵画の数々。そして色調は同じでもどこか寂しげな、悲しげな眼差しの自画像・・特に1970年のデビュー1ヶ月前に描かれた自画像は、顔の部分を黄色い絵の具で塗りつぶしてあり、非常に怖いものを感じました。デビュー直前の不安な心理がキヨシロにのっぺらぼうを描かせたのでしょうか・・・でも抗がん剤で頭髪が全て抜けてしまった時の自画像は不思議と温かみのある笑顔なんですよね~ まるで全ての悟りを開いたお坊さんのようです。

そしてもっと楽しげなのがキヨシロの漫画やイラストの世界。小学生の頃に描いた伝説の雑誌「鳩」は3千円のカタログを買わないと中身が見れないので買ってしまいました~うまくできてますね~(笑)。多くは好みの時代劇をモチーフとし、どこかに必ず手裏剣を投げる男が潜んでいる様な(笑)。あと、キヨシロの絵にはなぜか魚がよく登場します。

そしてなんと言っても素晴らしいのはブーアの森に代表される楽しい童画です。子供が生き生きと躍動してきらきらと瞳を輝かせています。それはステージを飛び跳ねるキヨシロに通じるものがあります。永遠に少年の心を持ってあの世に旅立ったキヨシロ・・・

最後に「JUMP」http://www.youtube.com/watch?v=b85bd2f_G48や「UFO神社」http://www.youtube.com/watch?v=QnLJ6dA2uKc渋谷のゲリラライブの映像を流しています。そこではもはや誰も歌わず、踊らずみな黙って座り込んで画面を見ています。
展示を見てる間もBGMに「自由」(こんなにBGMにふさわしくない曲があるだろうか!)http://www.youtube.com/watch?v=4qblgjxyQdcなんかがかかって自然と足踏みをしてしまいます。ガラスケースの中の展示品たちはみな音楽に合わせて「苦しい、狭いよ~、ぼくらを出してくれ~」と訴えているように見えました。係員の執拗なまでの「展示品に触らないで下さい」の科白(必ず2回繰り返す)はキヨシロのファンによほどタチの悪い奴らがいると思われているのか、ちょっとイラっとしました。でもみんな大人しく見ていましたよ、ラフォーレさん!本当のこと言うと、ガラスは叩き割りたかったし、ライブ映像の前では叫びたかったけどね、そこのところググっと堪えて・・・。まあ狭いです。清志郎の偉大な足跡を記すには、もっと広大な展示場が必要だぜ!漫画なんか無理やり展示してあるから重なって見えやしないぜ!それこそ床にぶぁ-と撒き散らして展示するとかさ。大人し過ぎる。絵画なんて縦に並べ過ぎて一番下の段は腰を屈めないと見れないから腰痛が悪化したぜ!展示のイロハがなってねぇ。まあラフォーレミュージアムに学芸員がいるとも思えませんが。全ての展示品に自由を(笑)!
ともかくもこうした個展を開催してくれたラフォーレには感謝します!キヨシロの魂は永遠なり!

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古民家に舞い降りた語り部 [美術展/博物館感想]

 http://www.city.komae.tokyo.jp/events/index.cfm/detail.4.22351.html

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本日は、むいから民家園(狛江市立古民家園)で「柳田國男の散歩」と題して成城大学名誉教授 鎌田久子先生が講話を行いましたので聞きに行きました~

むいから民家園は近い距離だし、入場は無料、私は遠野が好きで2度旅行したことがありまして人並みに柳田國男にもふれておりますので、成城大学の方が狛江市立古民家園の荒井家主屋(江戸末期様式の復元)で講演をしていただけるとあっては、こっこれは行かねば!と気合を入れて行った(嘘。本当は路上の掲示板のチラシをたまたま見ただけわーい(嬉しい顔))のですが・・・なんかご年配の方がとても多かったですねぇ。私ちょっと居づらい雰囲気でした。休日のむいから民家園のイベントというともっと子供連れの方とかたくさん居ると思ったのですが意外でした。
先生のお話は、とても素朴な語り口で、盛んに皆さん”語り部”と評していらっしゃいました。私も民家の畳に鎮座した先生の小さなお姿を見て失礼ながら遠野で聞いた語り部のお婆さんを思い出してしまいました。私は狛江と柳田國男の関係や如何に?と期待して行ったのですが、もちろんそういう話も若干ありましたが、どちらかというとそれよりも鎌田先生自身の柳田國男との交流の話を様々なエピソードを交えながらユニークに語っておられました。度々脱線する話もまた良かったし、質問にも丁寧にお答えしていただいて、予定時間を軽く1時間近くオーバーしていましたね(笑)。鎌田先生はこういう話題をこんなに長く(3時間も!)お話になったことはないそうで、やっぱり古民家の独特の古びた雰囲気がそうさせたのではないでしょうか・・・

狛江は柳田國男にとって、一地域というよりもご近所であり生活の一部であったようです。「ちょっと散歩してくる」中に狛江も入っており、日記の中に狛江の地名もいくつか登場してくると聞いて嬉しく思いました。

皆さん熱心にメモを取っておられ、私はスタッフと間違えられて凄く壮大な質問をされて、アウストラロピテクスとかニューギニアとか訳のわからない答えをした挙句、最後は勉強しますと行って逃げてしまって、あの時の方、本当に申し訳ありませんでした(笑)

(注:写真は古いです。すみません・・・)


「秋野不矩展」印象と写実の共存 [美術展/博物館感想]

神奈川県立近代美術館 葉山
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/public/HallTop.do?hl=h

縁あって観に行きました。
秋野不矩のことは全然知らなかったんです。
ポスターを見てもピンと来なくて、インドとかあんまり興味ないし。
なんか風景とか人とか黒い犬とかガンジスを渡る水牛とか、ボワーンとして捉えどころのない感じ。
綺麗なんだけど、どちらかというとシャープタッチが好きな私は、荒い仕上がりの絵を好きになれず、なんとなく流して見てました。
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でもふと、上の絵を離れて部屋の中心から眺めて見たら
凄い奥行きがあって、とても立体的にリアルに感じられた。
特に遠くの石畳の暗い感じとか、白壁と入口の明暗のコントラストが醸し出す質量感とか、実に上手いんです。

そうして他の絵も遠くで眺めてみると皆そういう効果があるんですね。近くで見ると印象的だけど遠くで見ると写実的という不思議な絵が大画面で迫って来る。
色合いは、黄土色を基調にしているのですが、たまに使われる青色が透明感があって実に美しい。まるで水の底の世界の様です。

あとで年表を読んで、50代になってからインドに渡って創作活動を活発に展開、90代になってもアフリカに描きに行っている女流画家、まさに超人だと知りました。

人間いくつになってもその気になれば夢を追えるものですね。私もまだ諦めないです。

<参考資料>
POST CARD「村落(カジュラホ)」1994年

「神奈川県立近代美術館 葉山」は実に素晴らしいロケーション。美術館横のテラスやレストランから見える海は絶景です。建物も新しくてとても綺麗。美術館の周囲を林の合間から海の垣間見える静かな散策路が巡っており、坂を下りれば砂浜もすぐ近くだ。もう美術館にしておくにはもったいない環境である
レストランのカレーも甘口で僕好みで肉も柔らかくて美味い。
惜しむらくはレストランの席数が少なくてえらい待たされること、そして逗子駅からのバスがえらい時間がかかって遠いことだ。やはり車で行くことが正解なのだろうが・・・車は無い!

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さっぱり?「パラオ-ふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功」 [美術展/博物館感想]


世田谷美術館 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/

 ていうか中島敦も土方久功も私は良く知りません(笑)。これは勉強で見に行きました。
 土方久功は、パラオの現地人に木彫りの方法を教え、それが今も土産物として売られているという話をNHKでやってました。
 中島敦の作品を劇化したものをDVDで流していましたが一人の主人公を何人もの役者が同時に演じるという手法が大変面白くてついつい見入ってしまいました。漫画では良くそういう手法ありますよね。山田玲司の「心の円卓会議」みたいな。でもそれを動きをつけて同時にやると実に笑える。

説明の方法は説明的・実証法で確立された知識を合理的に伝達していると考えられる。展示のわかりやすさについては、若干抽象的になり過ぎている様にも見えた。即ち、視角的効果を強調する余り解説を省き過ぎている様に思える。個々の資料の説明が不足している。従って解説文は非常に簡素であり、明解で読み易い文章となっていた。レベル基準の設定は、両氏をある程度知っている成人を対象にしている様で、全く知らない人が理解するには説明が少ないと思われる。
映像による補足説明としてスライドを多用している。解説や小説の原稿、本の内容を天井から吊るした映写機で壁に大きく画像を写して利用者の関心を惹き付けていた。反面、スライドを読み易くするため、展示室全体の照明が暗めになっている。また、中島の小説を演じた舞台のDVDを常時映しており、内容は興味深いが、声量が大きく、全体に響いてやや耳障りであった。ジオラマとして中島の小説を描いたからくり書物を展示しており、人形の仕草や照明・セットが変化する様が興味を引いた。
(1)動線 :単純・明快であった。かなり余裕を持った長さ・幅を取っておりゆったりと展示室内を移動できた。各展示室が直接連続する平面巡回型であり、全体として左回りの緩やかな順路が設定されつつも、明確な順路が設定されず自由な動線を含む半強制動線であった。
(2)視線:土方の絵画は数段に並べて展示されており当然、各々の中心の高さは自分の眼高よりも相当上ないし下になってしまう。中島の絵は自分の眼高よりやや下に統一されていた。また、スライドの映像は頭上の非常に高い位置にあり眺めづらい。これに対し彫刻(ブロンズ像)は100cm位の低い位置で展示されていた。広い台の上に放射状に数多く並べられていたため、中央の彫刻は側に寄って見ることができない。展示ケースの高さも110cm位であった。展示物との距離は十分に余裕があった。木彫レリーフも数段に並んでいて中段は眼高程度だが、最上段はかなり高く、見上げる感じになる。更にパラオの民族資料も展示しており視線はやや高めに設定してあった。
(3)温湿度:利用者にとっては適度で快適であった。
(4)照明:窓が無く自然光は取り入れていない。照度は平均化しておりメモは十分読み取れる程度だが、暗く陰気な感じもある。絵画も照度は低く、木彫レリーフは更に照度が低い。蛍光灯は使われておらず、ライティングレールで着脱式のスポットライトを使用し、演色性は良い。歩行用の照明は天井埋め込み型のダウンライトを使用している。壁の背景色は白で反射は少ない。壁面への照射角度は45度位である。彫刻については主光線と拡散光による副光線を用いて自然光に近づけている。また、展示室によって部屋全部を真っ暗にして、巨大な映像を浮かび上がらせる演出的な照明を施している。
展示ケースの板ガラスは全く無色で、厚めの物を使用している。展示ケースへの照明も外側からのスポットライトで内部に蛍光灯は使っていない。パラオの古い絵葉書を展示しているケースのガラス面に照明が若干映り込んでいる箇所もあった。また展示ケース前の床に埋め込まれいた非常口灯は展示の色・照度に比べて明る過ぎ、雰囲気を壊している様に思えた。展示ケースの底板は薄いセピア色を使用し柔らかい感じを出していた。
(5)生理的条件:ベンチを複数配置しており休憩が取れる。不自然な姿勢については、彫刻が低い位置のため若干上体を屈める感じになる。スライドの映像と、一番上の木彫レリーフについては上を向く姿勢を続けるため首が疲れる。絵葉書の展示ケースは大きめで多数の資料が入ってるため、詳細に見ようとすると前へのしかかる感じになる。床は板張りだが疲労を感じる硬度ではない。
(6)心理的条件:展示品の内容は変化に富んでおり、単調にならず飽きさせない。映像の挿入によって目先も変えている。
天井吊りの移動式パネルと、グレーの透明な大型カーテンで可変的に展示室を分割していた。モノを見る方向は水平が主だが、彫刻と絵葉書の展示ケースは回って見ることも可能だ。上下からは見れない。従って動きも直線運動と円運動になる。
壁の木彫レリーフや彫刻、展示ケース内の書籍や原稿は資料間隔がかなり密集しており圧迫感があるが、他の展示品については間がありゆったりと配置されていた。
1ケース、1壁面毎の展示品の種別に纏りがある。全体の流れとしては、まず土方の色艶やかな作品で目を惹き、そして中島のやや固い内容、最後に二人の交流を考察という分かり易く合理的な配列を形成している。原稿・書簡・雑誌・本・民具等が半数を占める点は美術館の企画として異例で、美術と文学の垣根を越え、同時代の二人の作家の活動を交差させようとする新しい視点での切り口であり、オリジナリティが感じられる。また、小規模展にしては小説や詩を盛り込んだ重厚な図録に企画側の意気込みが伝わって来る。資料の正確な理解と解釈にはやや欠けるものの、大型映像を駆使した演出性や、向こう側の利用者が透けて見える大型幕を使った動的な空間の割り当てがあった。劇的な盛り上がりはないが、童話の内容紹介等による情緒的な働きかけもあり、静かで落ち着いたモノとの交流を楽しむことができた。
[参考資料]
・倉田公裕著『新編 博物館学』東京堂出版、2004
・『美術と文学の交差試す 「パラオ-ふたつの人生」展』日本経済新聞2008年1月9日東京版朝刊

Bバージン完全攻略本

Bバージン完全攻略本

  • 作者: 上田 享矢
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1997/12
  • メディア: コミック


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神の領域 「シュルレアリスムと美術」 [美術展/博物館感想]


  横浜美術館 http://www.yaf.or.jp/yma/

 遅ネタですいませんが、去年の暮れ、観に行きました。
マグリット、キリコ、エルンスト、デルヴォー、そしてタンギー!もう好きなものばっかりで一人でニコニコしながら見ていたので回りの人はさぞかし気持ち悪かったのではないでしょうか。ダリは殆ど収蔵品でした。ていうか全体的に収蔵品が多く小粒なんです。後半はシュルレアリスムではなくて単なる現代美術で埋め合わせしてたし。でもそのおかげで安いし、なんと言っても横浜は空いてる!これが上野なら平日でも混み混みですよ。最近は、美術展の主要客は退職後の高齢者ですから平日とか休日とか無関係に混むんですよね。しかも横浜や渋谷では美術館に辿り付くまでの街の雰囲気が自分達に合わないとか行ってみんな上野に集結するんですよねぇ。まあ最近は六本木に随分流れてるようですが。だからいくら良いモノを横浜でやっても客が集まらないんです。おかげで私は好環境で、余計でデタラメな解説や感想も聞こえず、静かに鑑賞を楽しめるわですね!
 しかし小粒と言ってもそこはキラりと光るいいものがありましたよ。それにシュルレアリストたちの写真展も良かったですね。変な所でやってたので見逃すところでしたが、マン・レイやブルトンら、画家・写真家・詩人の錚々たる面々が、あーこんな顔してたんだ的な感じが、まあ殆ど既知の顔ですが面白かったです。
エルンスト多かったですね。エルンストはあの気持ち悪さが生命線です。「灰色の森」とか良かったですね。熱帯のジャングルや夜のイメージなど、迷路・混沌・圧縮した空気が渦巻く不気味さが妖しい。
マグリットはまさにポスター。「大家族」も航空会社のポスターとして描き直されただけあって、清潔なイメージの裏切りが信条ですが、清潔過ぎてどこか物足りない。私はもっと欲望ドロドロ感が垣間見えた方が好きですね。部屋に飾るには、ダリみたいにうなされなくていいんですが。デルヴォーも同じですね。両方とも大好きではあるんですが。

 その点やっぱりキリコですよ!すべてのシュールレアリスムの元となったキリコの絵。全てシュルレアリストの憧れであったキリコ。今回は僅か2点が来てるだけでしたが「福音書的な静物」は私の大好きな絵です。「カンヴァス世界の名画21 キリコとデュシャン」には以下の様に解説が語られている。
『ぽっかりあいた左上の穴から見える緑色の世界こそ、キリコが見てはならないと封印したはずの、「謎」の世界のような気がする。左下のカンヴァスは、おそらくこの穴にはまっていた時に見えた青空がそのまま一枚の絵として、イオニア式柱と一緒にしみついてしまったものなのだ。・・・この作品のように、未知の大陸の探検地図を、しばしば、絵の中の絵に描き込んでいる。そして、この地図でも、海は緑色ではないか!』
この解説を読んだ時、この下りが物凄く怖くて、その緑色が本当に奥行きのある四次元の様な、異界の様な、人間の心の深淵を覗き見た様な恐怖を私に与えました。まさに諸星大二郎「妖怪ハンター」の“常世”ですね(笑)。この緑色の世界を見ただけもこの展覧会は価値があるのです。


[参考資料]SPADEM Paris & SPDA Tokyo, 1993
 タンギーの絵はどれも素晴らしい。「風のアルファベット」。暗雲立ち込める空の下、そこに青空は殆ど見えず、雲の切れ間から僅かに希望を残し、地面はと言えば、何処までも非生産的で無意味な遺物が、公園の砂場の置き忘れられた子供の玩具の様に、楽しかった時代の名残りをそのくすんだ赤色に留め、がらんと横たわっているだけ。キリコやマグリット、ダリの絵に見える地平線という希望はもはやタンギーの絵には存在しない。その視界はぶ厚い雲に遮られ、地上には人の姿はおろか、人間の使用した道具すら消し去られている。石?化石?木片?骨?もはや何なのかわからない、でも無性に郷愁をかき立てる何か。子供の頃に忘れてしまった、二度と思い出せない何か。朝、目がさめた直後のぼんやり頭の中で反芻している記憶の断片。今に消えようとしている夢のかけら。そこにはかつて希望があったが今は無い。命はあったが今は無い。世界の終わりの瞬間ではなく、既に何もかも過ぎ去った後なのだ。タンギーの絵は暗くない。エルンストやダリの絵に比べると悪意がなく醜悪ではない。それは神の領域であり、もはや人間の住む世界ではない。

その他にも、マン・レイの目玉つきメトロノームや、デユシャンの髭を生やしたモナリザなど、全く人を食った著名なオヴジェが並んでおり、シュルレアリスム好きの人にはたまらない入門編的な展示であった。

カンヴァス世界の名画 21 (21)

カンヴァス世界の名画 21 (21)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1979/01
  • メディア: -


妖怪ハンター 地の巻 (集英社文庫)

妖怪ハンター 地の巻 (集英社文庫)

  • 作者: 諸星 大二郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2005/11/18
  • メディア: 文庫


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ダリ回顧展は下らなかった [美術展/博物館感想]

http://www.dali2006.jp/
大体、ダリ展は今まで何回も観たし、フィゲラスの劇場美術館にも行っているから、もう今回は観たことある絵ばっかりでさ。しかもデッサンとか初期作とかつまらないのが多かったよな。回顧展と命名するにはあまりに貧弱。それでもあれだけ人が集まっちゃうのは、やっぱりメディアの威力、上野という土地柄、太田総理の力もあるのかねぇ(爆)。モーツァルトとか日本人は生誕何々年っていうメモリアル企画に弱いからねぇ。暮れに観に行った時は1時間半待ち(遊園地のアトラクションかっつーの!)で撤退を余儀なくされ、まさか元旦から気味悪いダリの絵を観に行くのは俺くらいなものと思っていたら甘かった!ラッシュアワー状態だ。だから上野は嫌なんだ。
上野の森美術館なんて確か所蔵品はないから、美術館というより展示スペースって感じだよなあ。
壁もハリボテみたいだし、警備員はうるさいわ、照明が下手で絵が光って見えないような場面も多いわ、トイレは並ぶわ、足は踏まれるわ、押すなとか文句は言われるわで、まあ散々な鑑賞状態だったよ。
 そんな中でもシュールレアリズムの走りである「器官と手」はいいね。事物が抽象的で三角定規の様な物体はキリコの絵を、その周囲を浮遊する物体はイブ・タンギーの絵を思わせる展開。ダリの絵は大体黄土色っぽいがこちらは白・赤・青のすっきりした配色で珍しい色調だった。
 「焼いたベーコンのある自画像」:大型ポスターを売っていて危なく衝動買いする所を思い止まった。こんな気持ち悪い絵を部屋に飾ったら毎晩うなされるに違いない。松葉杖で支えた目・口に蟻がたかる姿はなんともシュール。でも欲しい!
 「ミレーの『晩鐘』の考古学的記憶の増大」:このテーマは頻繁に出てくるが、二人の農夫が岩壁になり樹木が生え、遺跡と化す発想は凄い。
 「新人類の誕生を見つめる地政学の子供」:この絵のポイントは何と言っても卵を破って這い出そうとする新人類の顔が見えない点だろう。そしてその輪郭の盛り上がりだけが卵の殻に映し出されているところが何とも恐ろしげで、一体どんな凄い顔がそこに隠されているのか考えると夜も眠れない(爆)。
「夜のメクラグモ・・・・・希望!」:第二次世界大戦を表す風刺的絵画。スペイン内乱を描いた名画「内乱の予感」もそうだが、戦争という荒廃した環境がダリ絵画という怪物を産んだことは間違いない。「9月末の3匹の鰯のある皿の中の電話」も受話器が、たった1本の国家の指導者たちの電話が多くの殺戮と破壊を生む悲劇に繋がってしまう皮肉を如実に表している。ちなみに鰯はスペインを表しているそうだが、よくわからない(爆)。

 まあとにかく、日本の美術館事情は先進国の中では最悪だろう。劣悪な環境の中、これからも高い金払って他人の後頭部を観にいかねばならないのかと思うといささかうんざりだ・・・・・。


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油断も隙もない「仏像」 [美術展/博物館感想]

特別展「仏像 一木にこめられた祈り」東京国立博物館:
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=3460

<参考資料>Post Card 「十一面観音菩薩立像 国宝 滋賀・向源寺(渡岸寺観音堂所在)」ART YOMIURI-06-235

 渡岸寺の十一面観音はどこから見ても隙のない美しさを湛える。
 通常、仏像は正面観照性をもち、真横や、ましてや後ろから観るようには作られていない。そもそも仏像は信仰の対象であって美術品ではない。大抵のお寺では、仏像は暗いお堂の奥に恭しく鎮座しており、正面から拝む様に出来ていて、せいぜい斜め前から見ることを想定しているぐらいだ。まして秘仏となれば、年1回、曝涼日にのみ拝観とか、更には拝観用の裏本尊が別に有り、本尊は決して一般の人々の目に触れないケースも少なくない。従って、お寺で拝む際には勿論全く気にならないが、かなり著名な仏像でも美術館で展示された状態で見ると、後ろは非常に粗末だったり、全く掘っていなかったり、また、真横から見ると異常に扁平でうすっぺらかったりする。そもそも仏像を彫った人たちは、まさか自分達の仏像が360度回れるような状態で、煌々とした電灯に照らされて穴の空くまで鑑賞されるなど夢にも思わないことだろう。だからそもそも、仏像を美術館・博物館で鑑賞するのは邪道であり、仏像はお寺で拝観すべきものだろう。
 しかし渡岸寺の十一面観音はそうではない。あらゆる方向性を意識して作られており、正面はもちろん、斜めから見ても真横から見てもそして真後ろからみても、全く手抜きのない美しさだ。194cmの堂々たる一木造の立像。僅かに腰を捻り左足を曲げて、臍を露にして立つ御姿は、不謹慎だが大変、色っぽく妖しい美を醸し出す。それもその筈、通常中国をルーツとする厳格な面持ちの仏像(立像)たちは足を真っ直ぐ伸ばし正面を向き直立した固い印象があるが、この腰を捻ったポーズは、インド風の生なましい血の通ったリアルな表現がルーツとなっているのだから。それは今にも動き出しそうである。その豊かな腹から腰への肉付きと捻りは、ヒンズーの乳房も陰部も露にして踊る豊饒の神々を彷彿とさせるようだ。またギリシャのアルカイックスマイルを湛える膝の真っ直ぐな直立像から膝を曲げたコントラポストのクラシック様式への変化をも垣間見る様だ。琵琶湖の北、余呉湖周辺の湖北には当仏像を始め、大変貴重なかつ美しい仏が多く、己高山の山岳信仰とともに海外への玄関口:若狭湾と京都を結ぶ交通の要衝として栄えた国際的影響が当仏にも宿っているのだろう。
 無論、全ての仏像がそうである様に当仏像も現地で拝観するのが望ましい。私も当仏像は過去に2回、現地で拝観した。門外不出と言われた渡岸寺の十一面観音菩薩立像がまさか東京で見れるとは思いもよらなかった。もう随分以前のことなので詳細は鮮明ではないが、当仏像の現地での設置状況は決して良い状態ではなかった気がする。しかし今回の展示の仕方に比べればましだ。なんだ、あの照明は!バカ眩しすぎて目が眩み、角度のよっては全く仏像が見えやしないぞ!みんな手をかざし光を避けて賢明に観ようとしていた。貸し出す方はよくあんな展示方法を許したものだ。よっぽど金にでも困っているのだろうか?あんな強烈なライトの当て方をして国宝が痛まないか心配である。どうも高松塚の壁画損傷事件以来、お偉い肩書きのプロがやることは信用におけない。それでも360度の円形展示を許したことで怪我の功名はあった。後頭部にぬっと突き出た暴悪大笑面が良く鑑賞できたからだ。その恐ろしげな面持ち、口を大きく開けて笑っているのか怒っているのか、とても菩薩の表情とはかけ離れた鬼の面持ちは、最初に見た時の衝撃と少しも変わっていなかった。普通、十一面観音は全て頭上に小さな変化面を持つが、当観音像は頭上は勿論、先ほど述べた後頭部や、耳の後ろの顔の横の位置にも大きな顔を持つ。さらに頂上の顔が通常、如来相であるのに対し、当観音では菩薩相になっていて、よーく見ると五体の化仏がそこに彫られて張り付いている。実に特異でかつ、細部までこだわった造りになっているかがわかる。暴悪大笑面を正面にした立ち姿は少しも不自然に見えないどころか実に艶やかな後ろ姿である。
 その面妖な変化相と全てを救う眼差し、妖艶な姿態を最も美しく鑑賞する角度は、絵葉書にもなっている、向かって左斜め前方から観ることである。弓なりに沿った姿勢が頭の先から足の先まで一本の美しい曲線を描き観る者を圧倒する。惜しいかな照明によっては真っ黒だが、照明を背にすればより美しく輝いた十一面観音を拝むことができる。それにしてもひなびた田舎の静かな薄暗い観音堂から突然、大都会の眩い光に照らし出され11万人もの人々の目に日夜さらけ出されることになって観音様もさぞびっくりされたことだろう。全く今時の人間はとんでもないことをするものだと。

 他の仏像に多少触れておくと、京都・西住寺の宝誌和尚立像は大変奇異で良かった。和尚が指で自分の顔の皮を剥ぐと中から十一面観音が現れたという故事に由来し、和尚の顔がぱっくり左右に割れて中から別の顔がぬっとのぞきこんでいる様は、なんとも面妖な恐ろしげな雰囲気を醸し出す。目が四つ、鼻と口が三つずつありそれらがなんの表情もなく目も口も閉じ黙している面持ちはなんとも不気味である。他にも唐招提寺の大きな仏像が3体(薬師如来と菩薩)並んでいる様は壮観で迫力があった。トーテムポールの様な円空仏や土産物の木彫り熊の様な木喰仏は大変人気があったが私はあんまり好きにはなれなかった。即興で作るから背面は真っさらだし、現代美術に通ずる抽象的な面白さはあるが荘厳さから来るありがたみが湧かなかった。
 全体として今回の仏像は標題通り、木の魅力であるから、煌びやかな金箔を施した仏像ではなく地味だが素朴で力強く、神木の力そのものを活かした信仰の造形が印象的であった。また平成館に行くといつも思うことだが、見る順路が良くわからなかった。展示の仕方は渡岸寺の十一面観音菩薩立像が一番酷く、他はそうぎらぎらでもなかった。なんか夜間はライトアップとかしてるらしいが、独立行政法人になって完全に展示がショー化しているというかはっきりいって悪趣味だ。物が信仰対象であるだけにもう少し尊厳に配慮した展示を心がけて欲しいものだ。


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むいから民家園に見る神々 [美術展/博物館感想]


狛江市立古民家園の荒井家住宅主屋(江戸末期の様式の復元)では
荒神はヘッツイ(ご飯を炊く釜)の上部の天井との間に、柱に小さい棚を設けて祀っていた。斜めに太さ均等の牛蒡注連を張り、装束を三本下げている。
荒神様のおたち(10月31日):荒神様はかまどの神様である。36人の子供がいると言われ、出雲へお立ちになる荒神様に、南天の葉を敷いた枡に入れた36個のオカマノダンゴやボタモチ、お立ちソバ等を供える。
荒神様の中帰り(11月15日):荒神様が1日様子を見に帰る。里芋,ヤツガシラを供える。稲作以前のタロ芋系の儀礼の名残りとも考えられる。
荒神様のお帰り(11月30日):小豆飯,ソバ,小豆粥にうどんを入れたドジョウ粥を供える。荒神様の棚の前に置いた焙烙で藁を焚き「この明かりでお立ち下さい」と唱える。


http://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/11,3302,100,247,html


神棚は、ザシキ奥のチャノマとの境の天井近くに、チャノマを背にして祀っていた。左が細い大根注連を張っている。


一般煮焚き用のオオガマ。燃料に薪を使わない

飯炊き用などのヘッツイ

トンボグチ

セエノカミ(賽の神):1月11日頃から子供達が年末の煤払いの孟宗竹を心柱に正月の松飾,神札,大根注連などと藁で円錐状の小屋を作り先端に達磨(元は赤い装束)を吊るす。また通行人にお神酒銭をねだる。小屋の内部には炉があり餅を焼いて一晩明かし、14日朝に小屋を焼く。
小屋に泊まる行為はケガレを取り除く忌み籠りを示し、小屋から子供が出てくることで再生(誕生)を表す。また子供は節分の鬼同様、年の変わり目に出現する異型者(農耕神)と解される。小屋のご神体としてドウロクジン(とうじん棒)と呼ぶ20cm位の石臼や男根の形をした石があり、部落間で盗り合うが、これは性的豊饒を祈願している。残り火でマユダマを焼いて食べると蛇除けになるとか灰を畑に撒くと害虫が付かないとか燃えさしの竹を流しの下に入れるヤスデが湧かないという伝えは害虫駆除の鎮送呪術である。また「鍬払い」と言って燃えさしの竹で鍬の泥を落とすと足を切らないと言われる。更に燃えさしの竹で「なるかならぬかならぬとぶった切るぞ」と唱えながら柿の木を叩く。これは「成木責め」と呼ばれ豊饒を願う行為である。

柿渋染め:柿を潰して発酵させた染料を使う。防腐・防水効果があり、魚網などに用いられた。

地図http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F37%2F42.504&lon=139%2F34%2F28.552&layer=1&sc=3&mode=map&size=s&pointer=on&p=&CE.x=316&CE.y=181


囁きと村祭り[横浜トリエンナーレ] [美術展/博物館感想]

http://www.yokohama2005.jp/

 とにかく寒い!!これからトリエンナーレに行く方は重装備で行くことをお薦めします。
吹きさらしだし、倉庫だし、ストーブは燃える部分が上についているので暖かい空気が下に来ないしで、すっかり風邪を引いてしまいました。
 現代美術と通常の絵画・彫刻との違いは、視覚に+αを加えたことによる。それは、当初、聴覚だった。視覚は派手にしても、塀で囲めば他のオブジェと競合しない。塀で囲んだアートが今回やたらと多いのはそのせいだ。
  閉鎖された空間の中に、月世界に作られた工事現場のような模型を作り、真っ暗な中に様々な
 形の照明を浮かび上がらせる情景を見下ろせる高嶺格の作品は非常に幻想的で綺麗だった。
  迷路のような通路を中、ふと見上げると天井の星空が広がるタニシKのアート。
  金の折鶴で作ったツリーの中に入って見上げられるコウマのアート。
  カメラを覗くことにより初めて赤・黒・緑・黄の円盤に手などが付いたオブジェが見えて逆に観客  が消える松井智恵のアートは、会場中のあちらこちらに設置されていてついつい覗いてしまう。
  ジャコブ・ゴーデル&ジャゾン・カラインドロスの「Anjel Detector」は、会話中にふと訪れる沈黙 をフランスの諺で「天使が通った」ということから、音を立てないと点く電球を部屋の中央に置いて  観客に眺めさせる。

 しかし聴覚は派手にすると他のアートの音と混ざり合って、まるで渋谷のトライアングル交差点の広告のように単なる騒音になってしまうことである。従って、複数の現代アートの音量は一定以上あげられず、まるで木の葉のざわめきのように囁き状態になる。
 小さい携帯画面の中を人が回転するジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーのオブジェでは、囁くように「左回転、左回転」と言い続ける。
 公衆電話の受話器から各々違った母親の囁きが聞こえる「ミリオン・ママ」。
 
 第二段階として触覚が加わる。すなわち直接触ることのできるアートだ。しかし現代美術は一歩進んで2つの道を選択した。一つは持ち帰れるアート。
  中央のブースで作家手作りのヌイグルミを周囲に洗濯バサミで吊るして飾り、観客はそれを購入 して持ち帰れる「毎日森」
  百円を入れメニューの番号を言うとその場で即興で作ったアートを自動販売機のように下から出 す「百均メニュー」(私は「それでよい絵画」を購入しました。ちなみに2つの番号を言っても合わせ て作ってくれていました。)
 
 もう一つは、自分自身が参加してアートの一部になってしまうこと。 
  「工事現場の堀の影」では自分の影もアートになってしまいます。
  空間にクッションを敷き詰めたソイ・プロジェクトのアートは中に入って寝っころがれる(もう起きた くありませんでした)。
  観客が直接乗れるヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルトの「Singerclub」(光るブ ランコ。当然乗りました。ボランティアのおじさんが押してくれます。)
  悪夢・将来の夢・差別へのメッセージを紙に書いて各々茶色、オレンジ、緑の布にピンで止める
 アルマ・キントのアート(当然書きました。「巨大イカの襲われた」「遺跡を守る」「日本人は単一民 族ではない」の3つです。中には趣旨とは全く関係ない「左回転」とか書いている人も多かった。こ ういう観客のいい意味での裏切りも計算のうちか?)。ああ、これはまるで、七夕祭りの短冊だ   な!と思いました。
 思うに参加できる現代アートとは村祭りですよね。祭りは大きくなればなるほど祭りを実施する団体(村の青年団とか商店街組合とか)と観客が離れ離れになっていって双方の間に距離できてしまう。本来、祭りとは誰でも参加できるはずだが、よそ者は神輿や盆踊りを遠くから眺める祭りが日本では殆どだ。芸術も然りで、名画になればなるほど柵やら線やらガラスケースやらで観客を遠ざける。現代アートが行きついた先は、その場、居合わせた人々も気軽に祭りに参加できる「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日~」である。 



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